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先日仕事がらみで宮城県は仙台まで行く用事がございまして、
せっかくなのでちょぴっと観光と牛タン、そしてマツコ・デラックスさんが
おいしいと絶賛して全国区となったずんだ茶寮のずんだシェイクなど
堪能して参りましたわたくしですが、日頃の行いか、
しんしんしんとけっこうな吹雪状態・・・
寒がりなので重装備でバッグIN(ふつうの)
で、ここからはちょっとマジメなお話になりますが、
ずっとこれまで震災以来、物見遊山ではなく、津波のあとを
この目で見ておかなくてはならないのではと胸に温めておりまして、
せっかく仙台へ行ったのだから三陸の海沿いを車で走ってみました。
五年前の今日3月11日、ワタシはまだ女王様には出会っていなくて、
ブライスのブの字も知らない生活を東京で送っていましたが、
その日は朝から何だか気が乗らなくて予定を変えて家におり、
最寄り駅の近くの幹線道路沿いを歩いていたところ地震が起き、
まるで船に乗って大きな波にゆーらゆら揺られながら、
これって東海地方の地震?とか思いながらただ呆然と空を見上げていました。
ついで地下鉄の駅から人がわらわら溢れ出てくるのに我に帰り、
あわてて家に戻ってすがりついて来る犬たちと当時は元気だった猫の
安全を確かめ、震える犬2を毛布にくるんで抱っこして、
足下に丸くなる猫と身体を寄せて来る犬1のお腹をずっと撫でながら
TVに繰り返し映る映像をずっと見つめていた記憶があります。
あの当時に女王様がいたらどんなでしたでしょうかね・・・
バビューンって飛んだのかしら(´-ω-`)
我が家の辺りはその後の計画停電もなく当日の混乱を除いては
ほぼ変わりはありませんでしたが、やはり被災地の姿は目に焼き付き、
目の前の仙台が変わらぬ大都市であるのから五年も経てば
だいぶ通常を取り戻しているのだろうと、ただ当時映像で見ていた
土地のスケール感や空気だけでも味わっておこうと向かったのですが、
あれ、この地名見覚えあるなと思ったあたりはいまだ・・・
本当に何もありませんでした(* ̄▽ ̄)ノ
この土地に関係のない自分でも胸がつまりました
そりゃあ五年も経っているのだから、がれきなどは一カ所に固められ、
何も、何もない広野が目の前にあるだけなのですが、よくよく見ると、
今は草地になったそこには家があったと思われる土台だけが残っているんです・・・
気持ち的に写真が撮れなかったので女王様はイメージです(;´∀`)
おそらく自分が目にしている広野にはかつて家が立ち並び、
人々がそこで普通に生活をしておられたはずです。
今日は天皇皇后両陛下が慰問に伺われるそうですが、
被害が甚大であった宮城県女川町ではこんなとこまで津波が来たの?
と、いうくらい山の中腹まで削られたあとがありました。
ふだん、気ぜわしく過ごしている日常生活の中では、勝手に
五年も経ったのだからほぼ復興も進んでいるのだろうと思っていましたが、
実際にその場に立ってみると何もない広野や周りに何もないところに
ぽつんと、文字通り仮設の住宅にいまだ暮らしていらっしゃる方が
いるのだという事実を目の当たりにして愕然とします。
今日も世界のどこかでは戦争が起き、同じ国の中でも困っている人がいる・・・
女王様の緑の国では皆にっこにこで暮らしているそうですね
世の中いろんなことがあるけれど、ちょっとずつ譲り合って皆にこにこと・・・
仲良く暮らしていきたいなあ(* ̄▽ ̄)ノ
でもお国は復興予算とか保育施設とか上手に使って納税してんだから